源平合戦

大庭景親とは何者だったのか?石橋山の戦いで頼朝に勝利するも勢力回復した頼朝に降伏して処刑された武将

どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。

今回は、「大庭景親」についてご紹介していきます。

「大庭景親」の簡単な略歴は以下ですね

大庭景親のプロフィール

  • 不明:誕生
  • 1180年:死去(戦死)

この記事でわかる事としては、「大庭景親」の縁の物事、いわゆる「大庭景親」の周辺情報についてまとめています。

今回は、「大庭景親とは何者だったのか?石橋山の戦いで頼朝に勝利するも勢力回復した頼朝に降伏して処刑された武将」と題してご紹介して参ります。

ぜひ、勉強に役立てて下さいね。

それではさっそく見ていきましょう!

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大庭景親とは何者か?

こちらでは、「大庭景親」とはどのような人物だったのかについてご紹介して参ります。

大庭景親は、平安時代末期の相模国の武将ですね。

平良文の末裔である鎌倉景正の流れを汲む大庭氏の一族です。

平治の乱後に平家の忠実な家人になっていますね。

1180年には、義朝の遺児・源頼朝が挙兵すると平家方の武士を率いて石橋山の戦いで頼朝を撃破している武将です。

しかし、安房国へ逃れた頼朝が再挙して多くの東国武士に迎えられて鎌倉へ入ると抗する術を失い、頼朝が富士川の戦いで平氏に大勝した後に降伏し、処刑されました。




大庭景親のまとめ

如何でしたでしょうか?

以上、「大庭景親」についてご紹介してきました。

今回は、「大庭景親とは何者だったのか?石橋山の戦いで頼朝に勝利するも勢力回復した頼朝に降伏して処刑された武将」と題してご紹介致しました。

ぜひチェックしてみて下さい。

それでは、今回はこの辺で。

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