明治維新

前島密とは何者か?切手になった男の名言や死因・子孫、郵便制度や渋沢栄一との関係について解説

どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。

今回は、歴史上の人物でも郵便制度の確立を成し遂げた「前島密」についてご紹介していきます。

前島密は、一言で言うと、現代の郵便局の創設者ですね。

前島密の簡単な略歴は以下ですね

前島密のプロフィール

  • 1835年:誕生
  • 1871年:日本で初めての郵便事業を開始
  • 1919年:死去(85歳)

この記事でわかる事としては、「前島密」の縁の物事、周辺情報についてまとめています。

今回は、「前島密とは何者か?切手になった男の名言や死因・子孫、郵便制度や渋沢栄一との関係について解説」と題してご紹介して参ります。

ぜひ、勉強に役立てて下さいね。

それではさっそく見ていきましょう!

関連するおすすめ記事

前島密とは何者だったのか?郵便制度を作った男

ここでは、前島密とは何者だったのかについてご紹介していきます。

前島密さんは、日本の官僚、政治家ですね。

日本の近代郵便制度の創設者の一人です。

その功績から「郵便制度の父」と呼ばれたりもしてます。

今日も使われる「郵便」「切手」「葉書」という名称を定めりもしていますね。

また、1円切手の肖像で知られてます。

前島密は、現在の新潟県だった高田藩の大農家に生まれています。

12歳のころに旅費と学費をもって江戸にでて、蘭学や英語を学んだと言われていますね。

その後、函館にわたって航海術などを学んでいます。

30歳の時には、薩摩藩に招かれて英語の教師を務めたり、31歳の時には幕府に仕えて洋学研究所で数学の先生をしたりしていました。

また、徳川慶喜に対しても、「漢字を廃止して、ひらがな、カタカナだけを使うべきだ」と提言していますね。

新政府にもその後入り、郵便制度を作ることを任されていたようです。

もう、色んなことができる天才ですね。

1871年には、東京と関西とで最初の郵便事業を初めて、それを全国に広めていっています。

郵便、葉書、切手などの言葉を前島密が作っており、現在でも1円切手の肖像になっていますよね。

その後、大隈重信と一緒に立憲改進党を作ったり、早稲田大学の校長になったり、電話事業設立にも力を尽くしていらっしゃいます。

前島密の切手とは

こちらで、前島密の切手をご紹介します。

引用:https://www.shop.post.japanpost.jp/shop/g/gKT43200/

郵便局の父と言われる人物も、切手になています。

購入は郵便局のオンラインショップで買えますよ。

前島密の名言

こちらでは、前島密の名言をご紹介しています。

  • 縁の下の力持ちになることを厭うな。人のためによかれと願う心を常に持てよ。
  • 誓って兄弟の血はすすらない。税金で飯を食おうとは思わない

前島密の郵便制度とは

こちらでは、前島密が関わった郵便制度についてご紹介して参ります。

1871年に、東京〜大阪の間で官営の郵便事業が開始されました。

これを発案したのが、前島密さんですね。

そして前島密さんは、大蔵省や内務省の官僚としての仕事をこなしつつも、1870年から11年間もの間、郵政の長として働いてきています。

マジでこの熱はスゴイ。

そのため「郵政の父」とたたえられています。

前島密は、イギリスで郵便貯金が国民の生活や国家の発展に大きな役割を果たしているのを見て、わが国でもこれを実施することにしていますね。

彼は私金を出して、それを貯金発端金として預けさせるなど、奨励には苦心したとも言われています。

前島密と渋沢栄一との関係とは

こちらでは、前島密と渋沢栄一との関係についてご紹介しています。

1869年に、前島密は明治政府から出仕を要請されて、当時民部省のの改正掛の渋沢栄一とともに旧来の制度を改革してきています。

また、密は大隈重信から鉄道建設のための案を作成するよう命じられ、土木・建設費や収入支出の計算書「鉄道臆測」を数日でまとめあげた。

この結果、東京・横浜間の鉄道建設は太政官(だじょうかん)で決定された。

前島密が大久保利通の襲撃現場に訪れた

こちらでは、大久保利通の襲撃現場に駆け付けた前島密についてもご紹介していきます。

大久保利通の暗殺は有名なお話ですよね。

その現場に、なんとこの前島密は駆け付けていたという史実が残っています。

現場に駆け付けた前島密は、証言では「頭蓋骨が見えるほど・・・しかもまだ動いていた」と、大久保利通の襲撃された姿をみて語ったと言います。

大久保利通の襲撃は、10数か所刺されたようでしたので、そのすさまじさ、残虐さを物語っていますね。

これを歴史的事件として「紀尾井坂の変」と言われています。

この時の前島密の証言が残っているというのも、時代の変革期と人々の心の変化など、色んなことを思わされるような事件ですね。

前島密の死因

こちらでは、前島密の死因についてご紹介して参ります。

ただ、明確な死因というのは分かっていないというのが個人的な所感ですね。

亡くなられた1919年で、現在の横須賀市芦名の別荘如々山荘にて亡くなられています。

この前の年には、前島密の奥様も亡くされており、まるで後を追うようにして亡くなられています。

前島密の子孫

こちらでは、前島密の子孫についてもご紹介して参ります。

子孫と言いましても、直径のご親族でわかった事をまとめています。

長男は、前島弥(わたる)さんで、実業家をされていらっしゃった方ですね。

長女の前島不二さんは、高田早苗夫人となられていた女性です。

二女の前島起久さんは、松島鉦四郎夫人となられていた女性です。

三女の前島睦子さんは、市瀬恭次郎夫人となられていた女性です。

四女の前島由理さんは、吉澤義則夫人となった女性です。

前島密のお孫さんにあたる前島勘一郎さんは前島弥さんのご長男で、貴族院男爵議員として政界でも活躍されていた方でしたね。

前島密がわかるおすすめ本を紹介

こちらでは、前島密がわかるおすすめ本についてご紹介して参ります。

映像作品はほどんとありませんが、郵便事業を手がけた男の物語や参考書籍は多くありましたので、一部をご紹介させて頂きます。

明治維新の理念をカタチにした 前島密の構想力

前島密の構想力についてまとめられているおすすめ本ですね。

確かに、この当時のスタートアップのような郵便事業を一から作り上げて、現在までも定着させているわけですから、とてつもない全体構想力だったのではないかとイメージできますよね。

前島密がどのようにして郵便事業を立ち上げて広げていったのか、すごく勉強になる一冊です。

ぜひ、参考にしてみてください。

小説前島密 天馬陸・海・空を行く

童門冬二さんが書かれた前島密の小説ですね。

幕末から明治にかけて、日本の近代化を担った逸材たちとの「一期一会」という面白いタッチで書かれていますね。

こういった独特の書き方ができるのも、歴史小説の面白さだと思います。

通称“天馬”と呼ばれている前島密の半生を描いた、なんとも痛快で読後の爽快感がたまらない書き下ろし歴史小説です。

無料でおすすめ本を読むならKindle Unlimitedがおすすめ

引用:Kindle

前島密など、歴史小説やコミック本などが読めるサービスとして、Kindle Unlimitedもたくさんの書籍を扱っているサービスですね。

様々な本を月額980円(税込)で、和書12万冊以上、また、洋書も120万冊以上のKindle電子書籍が読み放題になります。

歴史系のコンテンツも多いので、勉強にもなりますね。

ぜひこちらも登録しておくことをおすすめします。

関連リンク:Kindle Unlimitedに登録して歴史本を読む

前島密のまとめ

如何でしたでしょうか?

以上、「前島密」についてご紹介してきました。

今回は、「前島密とは何者か?切手になった男の名言や死因・子孫、郵便制度や渋沢栄一との関係について解説」と題してご紹介致しました。

農家の息子から、一代でかなりの人物にまで上り詰めた前島密。

元々の思考力と吸収力がとてつもなかったのだとわかりますね。

ぜひチェックしてみて下さい。

それでは、今回はこの辺で。

関連するおすすめ記事