どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。
今回は、歴史上の人物でも最恐な男「土方歳三」についてご紹介していきます。
土方歳三の簡単な略歴は以下ですね
土方歳三のプロフィール
- 1835年:誕生
- 1851年:天然理心流剣術道場に仮入門
- 1863年:新撰組発足
- 1868年:戊辰戦争
- 1869年:死去(35歳)
この記事でわかる事としては、「土方歳三」の縁の物事、いわゆる「愛刀やお墓や名言など」の周辺情報についてまとめています。
今回は、「土方歳三の刀や資料館、残した俳句・名言や子孫についてわかりやすく解説します!とてもモテた一流の男!」と題してご紹介して参ります。
ぜひ、勉強に役立てて下さいね。
それではさっそく見ていきましょう!
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もくじ
土方歳三の刀について解説
土方歳三の刀について、以下の2点についてご紹介して参ります。
愛刀:和泉守兼定
1864年、池田屋事件の戦果を郷里に伝えるため、近藤勇が日野の佐藤彦五郎に宛てた手紙が残されています。
その中に記載された「和泉守兼定」。
会津藩主だった松平容保から下賜されたと伝えられている土方歳三の愛刀として最も有名な刀ですね。
会津藩のお抱え刀工だった会津11代和泉守兼定によるものと鑑定されていますね。
土方は寸違いの兼定を複数所持し、現在まで残っているのは2尺3寸1分6厘の「和泉守兼定」です。
これは、箱館戦争の際、小姓・市村鉄之助によって遺髪や写真、手紙などと一緒に彦五郎のもとに送られてきた歳三最期の佩刀(はいとう)として伝えられています。
これが届けられた当時は物打ち部分にところどころ刃こぼれが見られるなど、騒乱の激しさを物語っていたと語られています。
愛刀:大和守源秀國
2016年4月から京都の霊山歴史館で一般公開されることとなった、土方歳三のもうひとつの愛刀、銘は「大和守源秀國」です。
鳥羽・伏見の戦いや甲州勝沼の戦いなど、戊辰戦争時に使用されたものと考えられています。
刃長は2尺2寸8分、直刃の実用刀で、表銘には「大和守源秀國 秋月種明懇望帯之」、裏銘には「幕府侍土方義豊戦刀 慶応二年八月日 秋月君譲請高橋忠守帯之」と刻まれています。
「義豊」とは歳三の死後につけられた諱(いみな)のことですね。
歳三が所有していた「大和守秀國」には、縁金に土方が好きだったという梅の意匠が施されています。
鞘の一部には帯で擦れ螺鈿が剥がれたような跡が、鯉口は一部が摩耗し色が薄くなった箇所があります。
これは、兼定と同様によく使い込まれていたことが分かりますね。
土方歳三資料館
リニューアルして開館されたのが、土方歳三生家に伝わる数々の資料と子孫との語り継がれています。
土方歳三の生家が建て替えを機に、自宅の一室を開放して作られている資料館ですね。
歳三の愛刀「和泉守兼定」や鎖帷子などの武具、写真や手紙などが展示されており、歳三の兄から数えて五代目・六代目の子孫が直接解説をしてくれます。
土方歳三の子孫は?
土方歳三には、妻はいないとされていますね。
ですので、子孫がいないということは多くの方が知っている事実ですが、いた可能性もあると考えられてもいます。
その理由が、京都で新撰組の一員として活躍していた土方歳三は当時の京都の有名人であり、その見た目のカッコよさも相まって非常にモテていたというエピソードが沢山あるからですね。
隠し子ってやつですか(別に隠しても無かったかもしれませんけどw)
実際に土方歳三の子を産んだという話が残っている舞妓さんもいたようですね。
しかし、この舞妓さんのお子さんは若くして亡くなっているので確実に残っているという情報は無いのです。
この舞妓さんに子供ができたという記録があるのなら、どこかでこの人の子孫がいたとしてもおかしくないと言える、という理屈です。
表には出てこないし名字も異なっているでしょうが、当時の京都にいた人たちの中に土方歳三の子をなした方はいるかもしれません。
土方歳三が残した有名な俳句
梅の花
「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」
歳三の発句は専門家から「ルールがなっていない下手な句」と評価されることがあるようです。
逆にいえばストレートで馴染みやすいですね。
この句については、「通常ならたくさん咲く梅が一輪咲いている。それでも梅にはかわらない」と考えられそうです。
この句が詠まれた年、歳三は京に向かい、自然豊かな多摩の風景をそのまま詠んだとも考えられますが、もしかすると揺るぎない信念をその梅に重ねたのでは?とも考えられています。
恋を呼んだ句
「知れば迷い 知らねば迷わぬ 恋のみち」
こちらは恋の句です。
「恋は一度知ってしまうと迷いが生じる。もし知らなければこんなに迷いはしなかったのに」という意味、、、キザっすね〜。
女性にモテすぎて困っていた歳三も恋の虜になることがありました。
その真偽はわかりませんが、17歳のころに奉公先の年上女中を妊娠させ、結婚を迫られたというお話も残っていますね。
また、お琴という美人で器量もいい許嫁がいました。
しかし、後に婚約を解消し、京都の愛妾が子供を身ごもったといわれます。
これだけでも歳三が恋多き男だったことがわかりますね。
月夜
「水の北 山の南や 春の月」
土方歳三は春と月が好きだったといわれてます。
この句は「川の北側と山の南側の風景の中にのどかな春の月を見つけた」と麗らかな春の訪れを喜んでいると考えられます。
創作物の影響もあり、共に壬生浪士の副長だった山南敬助を偲んだ句ではないかというロマンチックな見方もあるようですが、句集自体が上洛以前のものとされるため、山南との関係性は低いと見られています。
しかし、ファンとしてはさまざまな想像をかき立てられる一句かもしれませんね。
土方歳三のお墓について
門を入って正面のカヤの木から右手の墓地方向に、「土方歳三義豊之碑」があります。
これは、1968年に、土方歳三の兄の子孫によって建立されました。
また、この正面のカヤの木は樹齢400年以上と言われています。
この当時からあるので、土方歳三も、一族の墓参りに来た時に見ていたと思われます。
碑の前を通って墓地の中に方歳三の墓と、土方家代々の墓があります。
命日やひの新選組まつりの時には、ひっきりなしにたくさんの人がお参りすると言われていますね。
土方歳三のおすすめ本を紹介
ここでは、土方歳三のおすすめ本をご紹介していきます。
燃えよ剣
これは司馬遼太郎作品の中でもとても人気の作品ですね。
強さと冷静さを兼ね備えている土方歳三の、心根の深い描写がとてもかっこよさを感じさせてくれる作品です。
ご存知の人も多い作品ですが、ぜひ読んでみてください。
(映画もありますね)
土方歳三新撰組を組織した男
歴史の資料をもとに、本当の土方歳三の人物像をしっかり表現している作品ですね。
形態としてはフィクションなので、読みやすさも重視されている小説です。
こちらも一味違う土方歳三が楽しめますよ。
土方歳三のまとめ
如何でしたでしょうか?
以上、「土方歳三」についてご紹介してきました。
今回は、「土方歳三の刀や資料館、残した俳句・名言や子孫についてわかりやすく解説します!とてもモテた一流の男!」と題してご紹介致しました。
ぜひチェックしてみて下さい。
それでは、今回はこの辺で。
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