戦国時代

徳川家康にのお墓やお城、名言や明智光秀との関係などをまとめてみました!【おすすめ本も紹介】

どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。

今回は、歴史上の人物でも偉大だと人気の「徳川家康」についてご紹介していきます。

徳川家康の簡単な略歴は以下ですね

徳川家康のプロフィール

  • 1542年:誕生
  • 1562年:織田信長と同盟を結ぶ
  • 1575年:長篠の戦いで信長と共に武田に勝利する
  • 1582年:本能寺の変
  • 1590年:秀吉の天下統一、恩賞として関東地方をもらう
  • 1600年:関ケ原の戦い
  • 1603年:征夷大将軍となり江戸幕府を開く
  • 1615年:大阪夏の陣で豊臣家滅亡
  • 1616年:死去(75歳)

この記事でわかる事としては、「徳川家康」の縁の物事、いわゆる「徳川家康」の周辺情報についてまとめています。

今回は、「徳川家康にのお墓やお城、名言や明智光秀との関係などをまとめてみました!」と題してご紹介して参ります。

ぜひ、勉強に役立てて下さいね。

それではさっそく見ていきましょう!

徳川家康の名言を少し紹介

ここでは、徳川家康の名言についていくつかご紹介していきたいと思います。

250年続いた徳川幕府の創設者である家康は、どんな名言を残したのでしょうか?

  • 人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。
  • 勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。
  • 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。
  • 世におそろしいのは、勇者ではなく、臆病者だ。
  • 戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が。

ちょっと話はズレますけど、歴史上医大とされている人や、その名を残した人って、本当に真理を突くような名言を残しますよね。

おそらく、常にその真理について考えを巡らせ、求められる難しい意思決定に日々生きなければいけない時代だったのかも知れないですね。




徳川家康のお墓はどこ?

ここでは、徳川家康のお墓についてご紹介していきます。

家康を祀っているお寺とお墓は全国にいくつか存在していますね。

有名なのは、日光東照宮かも知れません。

その他にも、祀られていたり、徳川家に縁のあるお墓はいくつかありますので、以下で簡単にご紹介していきます。

ぜひチェックしてみてください。

  • 日光東照宮:徳川家康の御祭神
  • 久能山東照宮:徳川家康を御祭神
  • 金地院東照宮:徳川家康の遺髪と念持仏が祀られている
  • 堺東照宮:徳川家康の御祭神
  • 芝東照宮:御神体が、徳川家康の寿像
  • 上野東照宮:徳川家康、徳川吉宗(8代)、徳川慶喜(15代)を祀っている。

色々とめぐってみたいものですね。

徳川家康の城はいくつある?

こちらでは、徳川家康の縁のあるお城についてご紹介していきます。

岡崎城(おかざきじょう):愛知県岡崎市

岡崎城は1455年に、土地の豪族である西郷家によって築城されています。

1531年に徳川家康の祖父である「松平清康」が岡崎城を奪い、松平家の居城としそして1542年に岡崎城で徳川家康が生まれたのです。

「桶狭間の戦い」以降、徳川家康は岡崎城を本拠にします。

嫡男の「松平信康」にこの城を譲り、徳川家康の没後は、徳川家と主従関係にある大名たちが岡崎城の城主を務めています。

1959年には天守閣が復元され、現在では天守閣のまわりに岡崎公園が整備されております。

浜松城(はままつじょう):静岡県浜松市

徳川家康が武田信玄との決戦に備えて築いたのが浜松城です。

1572年に、武田信玄が遠江に攻めこんできて「三方ヶ原の戦い」が勃発し、この戦で浜松城にまつわるこんな逸話が生まれています。

ここは、城門を開け放つとそこに松明を灯し武田軍に「城に入ってこい」と言わんばかりな奇策に出たと言われています。

罠を恐れて城に入ることができない武田軍が退却し、徳川家康は窮地をなんとか脱したのです。

この徳川家康の奇策は「空城の計」と呼ばれています。

駿府城(すんぷじょう):静岡県静岡市

今川家の人質だった幼少期、徳川家康は駿府で過ごしました。

今川家が没落したことにより独立を果たすと、駿府を攻め落として駿府城を築きます。

それから徳川家康は駿府城の改築に取り組みました。

1608年(慶長13年)には本丸御殿、1610年(慶長15年)には天守が完成。

駿府城は大御所である徳川家康が住むのにふさわしい立派な城となったのです。

徳川家康は75歳で死去するまで駿府城で暮らしました。

徳川家康にとって、幼少期と晩年期を過ごした駿府にあるこの城は、思い出の詰まった場所だったことでしょう。

元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう):京都府京都市

日本の歴史のなかで二条城と呼ばれる城はいくつもありました。

しかし、現存しているのは1603年に徳川家康が築いた元離宮二条城だけです。

大政奉還では15代将軍「徳川慶喜」が、天皇に政権を返上した大事件でこの元離宮二条城がその場とされていますね。

現在、元離宮二条城は国宝や世界遺産などに指定されています。

江戸城(えどじょう):東京都千代田区

江戸幕府が存続した約260年の間、徳川家の居城として威厳を示したのが江戸城です。

1457年に築城名人と呼ばれた武将「太田道灌」により築城されました。

1590年に徳川家康が江戸に本拠を移した際、江戸城は入り口に数枚の板が並べられているだけのみすぼらしい城に成り果てていたようですね。

江戸幕府が滅んだ明治元年、江戸城は東京城と改称されました。

そして、現在は天皇皇后陛下がお住まいになっている御所や宮殿などが置かれており、皇居と呼ばれています。

徳川家康と明智光秀の関係は?

織田信長の徳川家康討伐説というのがあります。

あり得ない話ではないと考えられ、当時の信長の関心が中・九州討伐に向っていたことから、東国最大の敵である武田氏を滅亡させた後、強敵となる可能性が高い徳川討伐は必然ではないかと考えられています。

家康は変事に全くの”カヤの外”だったかどうかは判然としませんが、地方大名の家康は端役のひとりに過ぎなかった可能性は高いと思います。

この命令を受けていたのが、明智光秀だったと言われていますね。

結果、明智はその命令を下した信長を謀反で自害に追い込むのですが。

徳川家康と明智光秀の間には、信長の陰謀論がついて回っていたのですね。

関連記事:明智光秀の妻や子孫、城や家紋、そしてその最後について解説をしていきます




徳川家康のおすすめ本

ここでは、徳川家康のおすすめ本をご紹介して参ります。

もう、司馬遼太郎の徳川家康シリーズですね。

覇王の家

こちらは、若かりし頃の家康が、世に出ようとしている時の物語ですね。

がんじがらめの状態で如何に脱却していくかをあれこれ考えを巡らせているのがとても面白いですね。

関ヶ原

こちらは、家康と石田三成との決戦を描いています。

が、こちらもやっぱり家康は家臣と密談をしているシーンが多いですね。

こうして、人と情勢を動かしているのか、というシーンが見ものです。

ちなみに、宮本武蔵が関ヶ原に参加していたのは史実としてありますよね。

関連記事:宮本武蔵の刀や名言、その伝説となったエピソードを紹介!天下無双の剣豪の史実を解説します。

城塞

家康の最後の決戦、大坂冬の陣・夏の陣を描いている小説ですね。

こちらも、豊臣と戦う前から勝敗が決まっている様がよくわかりますね。

このような政治力、とても勉強になりますね。

関連記事:豊臣秀吉の家紋や城、妻や死因や天下統一までの出来事をまとめて紹介します!

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引用:Kindle

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徳川家康のまとめ

如何でしたでしょうか?

以上、「徳川家康」についてご紹介してきました。

今回は、「徳川家康にのお墓やお城、名言や明智光秀との関係などをまとめてみました!」と題してご紹介致しました。

ぜひチェックしてみて下さい。

それでは、今回はこの辺で。