明治維新

榎本武揚とは何者だったのか?旧幕府の軍艦を率いて新政府軍に抵抗を続けた人物

どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。

今回は、歴史上の人物でも○○な「榎本武揚」についてご紹介していきます。

榎本武揚の簡単な略歴は以下ですね

榎本武揚のプロフィール

  • 1836年:誕生
  • 1908年:死去(73歳)

この記事でわかる事としては、「榎本武揚」の縁の物事、いわゆる「榎本武揚」の周辺情報についてまとめています。

今回は、「榎本武揚とは何者だったのか?旧幕府の軍艦を率いて新政府軍に抵抗を続けた人物」と題してご紹介して参ります。

ぜひ、勉強に役立てて下さいね。

それではさっそく見ていきましょう!

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榎本武揚

榎本 武揚(えのもと たけあき、1836年10月5日〈天保7年8月25日〉 – 1908年〈明治41年〉10月26日)は、日本の武士(幕臣)、化学者、外交官、政治家。最終階級は海軍中将。栄典は正二位勲一等子爵。通称は釜次郎[注 1]、号は梁川(りょうせん)[注 2]。榎、釜を分解した「夏木金八」という変名も用いていた。世間では俗に「ぶよう」とも呼ばれた [5]。

伊能忠敬の元弟子であった幕臣・榎本武規(箱田良助)の次男として生まれる。昌平坂学問所、長崎海軍伝習所で学んだ後、幕府の開陽丸発注に伴いオランダへ留学した。帰国後、幕府海軍の指揮官となり、戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領、いわゆる「蝦夷共和国」の総裁となった。箱館戦争で敗北し降伏、東京の牢獄に2年半投獄された。

敵将・黒田清隆の尽力により助命され、釈放後、明治政府に仕えた。開拓使で北海道の資源調査を行い、駐露特命全権公使として樺太千島交換条約を締結したほか、外務大輔、海軍卿、駐清特命全権公使を務め、内閣制度開始後は、逓信大臣・文部大臣・外務大臣・農商務大臣などを歴任、子爵となった。

また、殖民協会を創立し、メキシコに殖民団を送ったほか、東京農業大学の前身である徳川育英会育英黌農業科や、東京地学協会、電気学会など数多くの団体を創設した.

榎本武揚が登場するドラマ

大河ドラマ:新撰組!

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榎本武揚のまとめ

如何でしたでしょうか?

以上、「榎本武揚」についてご紹介してきました。

今回は、「榎本武揚とは何者だったのか?旧幕府の軍艦を率いて新政府軍に抵抗を続けた人物」と題してご紹介致しました。

ぜひチェックしてみて下さい。

それでは、今回はこの辺で。

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