どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。
今回は、歴史上の人物でも純潔な「柴田勝家」についてご紹介していきます。
柴田勝家の簡単な略歴は以下ですね
柴田勝家のプロフィール
- 1522年:誕生
- 1556年:織田信長討伐のため挙兵するが、信長に敗れ家臣となる
- 1573年:小谷城攻めに参加、浅井長政・浅井家滅亡に貢献
- 1582年:織田信長本能寺にて討ち死に。清洲会議。
- 1583年:秀吉との争いの後、妻のお市と共に自害(62歳)
この記事でわかる事としては、「柴田勝家」の縁の物事、周辺情報についてまとめています。
今回は、「柴田勝家とは如何なる人物だったか?お市の方との関係や家紋について解説」と題してご紹介して参ります。
ぜひ、勉強に役立てて下さいね。
それではさっそく見ていきましょう!
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柴田勝家とはどんな人物か?
柴田勝家自身も、天下を目指した武将の1人でしたね。
しかし、織田信長に敗れたことによって織田家の家臣団に加わり、その後数々の戦歴を残してきました。
浅井長政亡き後は、浅井長政の妻であり信長の妹であったお市を妻にしていきます。
若き秀吉からも尊敬され、柴田の「柴」の字を取って羽柴秀吉と名乗ったほどでしたね。
そんな秀吉とも、信長亡き後に天下人への道の中で争っていき、最後は妻のお市と共に自害していきます。
柴田勝家とお市の方
お市の方は浅井長政の妻でしたが、長政亡き後は織田家に戻ってきていました。
その後、信長の死後、「清洲会議」の場で、柴田勝家とお市の再婚が決まります。
この結婚話は、羽柴秀吉による作戦だったとも考えられています。
秀吉に「織田家を乗っ取るような野心はない」ことを証明するためにも、織田家の重臣だった柴田勝家に信長の妹を嫁がせた狙いがあったわけです。
2度目の結婚を果たします。
お市の方は、最後は秀吉との戦になった柴田勝家と共に自害することになります。
秀吉の元で生きていくのを拒んだのか、勝家とのよき夫婦仲の証明でもあったのか。
柴田勝家の家紋について
ここでは柴田勝家の家紋について紹介していきます。
柴田勝家の家紋:二つ雁金紋
柴田勝家の家紋の一つ目は、この渡り鳥である「雁(かり)」をデザインしたものです。
この「二つ雁金紋」では普通のものと異なり、上のみが口を開けているという違いが見られます。
柴田勝家の家紋:五瓜に唐花紋
八坂神社が「神紋」として使用している紋です。
どうしてこの家紋が使用されているのかは、現在でもまだ判明していません。
柴田勝家のまとめ
如何でしたでしょうか?
以上、「柴田勝家」についてご紹介してきました。
今回は、「柴田勝家とは如何なる人物だったか?お市の方との関係や家紋について解説」と題してご紹介致しました。
ぜひチェックしてみて下さい。
それでは、今回はこの辺で。
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