どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。
今回は、歴史上の人物で「後藤又兵衛」についてご紹介していきます。
後藤又兵衛の簡単な略歴は以下ですね
後藤又兵衛のプロフィール
- 1560年:誕生
- 1573年:黒田長政に支える
- 1600年:関ヶ原の戦い
- 1606年:黒田長政と仲違いし出奔
- 1614年:大坂の陣に参加
- 1615年:大坂夏の陣にて戦士(56歳)
この記事でわかる事としては、「後藤又兵衛」の縁の物事、いわゆる「後藤又兵衛」の周辺情報についてまとめています。
今回は、「後藤又兵衛とはどんな人物だったのか?略歴や真田丸での活躍や子孫・槍を紹介」と題してご紹介して参ります。
ぜひ、勉強に役立てて下さいね。
それではさっそく見ていきましょう!
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もくじ
後藤又兵衛とはどんな人物?
湖東又兵衛は、黒田官兵衛の息子である黒田長政の重臣だったことで知られていますね。
ただ、その黒田長政と仲違いをしてしまい、黒田長政の元から一族を伴って離れてしまいます。
徳川家康の重臣だった福島正則などが重宝しようとしましたが、黒田長政によって憚れていたとも言われていますね。
最後は真田幸村と共に、大坂の陣に参加しています。
後藤又兵衛と真田丸:大坂の陣での活躍
後藤又兵衛は、1614年に大坂の陣が勃発すると、真っ先に大坂城に入城します。
徳川家康からは、後藤又兵衛には警戒するようにという指示もあったと言われていますね。
歴戦の将として大坂城五人衆一人に数えられ、山川賢信、北川宣勝以下を与力として、大野治長・治房らを補佐したと残されています。
大阪冬の陣では6,000人を率いて、上杉及び佐竹勢と相対しています。
1615年の大坂夏の陣では、伊達政宗の家臣・片倉重長率いる鉄砲隊など、10倍以上となった相手に対し、後藤又兵衛は突撃を敢行し、乱戦の中に討死しています。
後藤又兵衛の子孫はいるのか?
後藤又兵衛には子孫も残っているようですね。
後藤又兵衛には、6人の息子がいました。
そのうち、伊予に行って医師になったのが、五男の吉右衛門基芳です。
また、又兵衛の長男筋の子孫も現代に至る形で残されているようです。
後藤又兵衛が有名な槍
後藤又兵衛は、槍の名手としても名前を残したようですね。
肖像画などでは、刀姿ですが、当時としては槍や兜は由緒のある業物を扱っていたという風に言われています。
実際にどのような槍を使っていたかまでは、具体的にはわかりませんでしたので、ここでは省略させていただきます。
後藤又兵衛のおすすめ本
こちらでは、後藤又兵衛のおすすめ本をご紹介していきます。
後藤又兵衛(人物文庫)
黒田官兵衛のもとで武将の生きがいを知り、黒田家中有数の豪将に成長する姿が描かれているおすすめ本です。
関ヶ原の戦いで「槍の又兵衛」と称されるなど、武将としての行き方を示した小説ですね。
後藤又兵衛 – 大坂の陣で散った戦国武将
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後藤又兵衛のまとめ
如何でしたでしょうか?
以上、「後藤又兵衛」についてご紹介してきました。
今回は、「後藤又兵衛とはどんな人物だったのか?略歴や真田丸での活躍や子孫・槍を紹介」と題してご紹介致しました。
ぜひチェックしてみて下さい。
それでは、今回はこの辺で。
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