どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。
今回は、歴史上の人物でもあの織田信長を暗殺したことで有名な「明智光秀」についてご紹介していきます。
明智光秀の簡単な略歴は以下ですね
明智光秀のプロフィール
- 1528年:誕生
- 1569年:信長の部下になる
- 1582年:本能寺の変
- 1582年:山崎の戦いにて羽柴秀吉に敗れ死去(54歳)
この記事でわかる事としては、「明智光秀」の縁の物事、いわゆる「光秀」の周辺情報についてまとめています。
今回は、「明智光秀の妻や子孫、城や家紋、そしてその最後について解説をしていきます」と題してご紹介して参ります。
ぜひ、勉強に役立てて下さいね。
それではさっそく見ていきましょう!
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もくじ
明智光秀の妻たち
ここでは、明智光秀の妻たちについてご紹介していきます。
この方、基本的には側室を持たなかったことでも有名ですね。
最初の正室は、1546年に明智光秀が18歳のときに、千草と結婚して最初の妻にしたというふうに言われています。
しかし、のち死別したという話もありますね。
京都で子供を産んだとか、色んな逸話があって、この辺りはまだ明らかにはなっていないようですよ。
次に、妻木煕子(つまきひろこ)と、結婚し、正室としたというのが有名な記録ですね。
この辺りから、史実が見えてくるのでしょうね。
明智光秀の妻:妻木煕子(つまきひろこ)の最後とは
明智光秀が天下の謀反人となってしまった時から、世間は明智家の記録を多くは残さないような動きになってしまったようですね。
そして、明智光秀の妻の妻木煕子の記録、そしてその最後も明確に記録として残っているわけではないようです。
明智光秀と妻木煕子の間に生まれた有名な人物とは、ガラシャ夫人ではないでしょうか。
あの関ヶ原前夜に自害をして三成を追い詰めてしまった女性ですね。
そんなガラシャ夫人の母親である妻木煕子夫人の最後も、実は謎に包まれていて、いまだにわかっていないようです。
明智光秀の子孫たち
これもよく言われている話でもありますが、明智光秀の子孫たち、その末裔についても語られるという機会が多いようですね。
書籍などでもよく取り上げられたりもしている状態です。
有名な本ですと以下の本ですね。
明智光秀の子孫について書かれた本
- 明智家の末裔たち
- 光秀からの遺言
最近ですと、明智光秀のイメージというのもいい印象の部分というのが出てきているのかもしれませんね。
僕の子供のころとかは、やっぱり信長を殺してしまったという悪いイメージ、ダークヒーロー的なイメージの方が強いですね。
それが、どんどん変わってきて、このような本とかも発売されるようになったのかもしれませんね。(単なる僕の憶測ですけど)
明智光秀と「駒」、駒は実在したのか?
大河ドラマの登場人物に、「駒」という女性が登場してきていますね。
この女性は、実は架空の人物のようです。
少し大河ドラマではヒロインのような感じでも描かれているのですが、もしかしたら最初の光秀の正室のモデルにもなっているのでしょうか?
動画は、ブルーリボン賞の司会をしていた時の門脇麦さんです。
明智光秀の縁の城を紹介
こちらでは、明智光秀の縁のあるお城についてご紹介しています。
坂本城
光秀の主君で戦国の世に覇を唱えた織田信長は、数々の戦国大名と戦いました。
しかし、その武装した宗教徒も強大な敵でした。
比叡山延暦寺は強敵であっただけでなく、信長の根拠地の岐阜と京の間に位置していました。
地理的に浅倉家、浅井家と近く同盟を組みやすかったため大いに苦戦し、信長は比叡山焼き討ちの後、この地ににらみを利かせ、琵琶湖を制するため、もともとは足利義昭に仕えながら織田家の有力な家臣になっていた光秀に滋賀の支配を任せます。
そうして、坂本城を築かせます。
坂本は古来より交通の要衝であり、日吉大社の門前町としても栄えていました。またこの地は、琵琶湖と山脈に挟まれて大変守りやすい土地だったのです。
亀山城
天下布武を進める織田信長の有力家臣だった光秀が、丹波国の制圧を任されます。
その際に、丹波にある亀岡盆地の中心部を選び、丹波平定中の光秀が亀山城の築城を開始しています。
落成後の城は丹波平定の拠点となり、平定後も支配の中心とされました。
そして、光秀は亀山城と同じ丹波国に、銅門番所などで今でも有名な福知山城も築城しています。
明智光秀の城のまとめ
明智光秀が築いた二つの城は共に戦略的に重要な地に建築されています。
そして歴史上、大きな役割を果たしました。
特に琵琶湖沿いに築かれた坂本城は、当時のイエズス会宣教師ルイス・フロイスによって、信長が築いた安土城に次ぐ豪壮華麗の城として記録されていますね。
なお、戦略家としても優れていた光秀が築いた城は、その壮麗さもあり名城と評価されました。
光秀の城として有名な坂本城は現存していません。
安土城に並ぶ名城として、現代までその名を残しています。
明智光秀の家紋「水色桔梗」
光秀の家紋が「桔梗」であることはよく知られていますね。
これは、秋の七草のひとつで、上品な青紫の色合いと可憐な姿で親しまれている五弁の野の花ということです。
本来は美濃の土岐氏の紋であり、これは鎌倉幕府御家人であった土岐氏初代「土岐光衡」が、戦陣で兜に桔梗の花を飾って勝利をおさめたことに由来すると伝わっています。
その伝統を引き継いで桔梗紋を用いたとされています。
植物紋として多くのバリエーションをもつ桔梗紋。
しかし、光秀が使用したものは「水色桔梗」ともいって、その名のとおり青系統に着色されたたいへん珍しいタイプの家紋のようです。
明智光秀の最後とは?
明智光秀の最後も、いろいろと逸話があるようですね。
1つは、山崎の戦いにてわき腹を刺されたことによる出血死という説があります。
これは、合戦の後に逃亡して、その後刺し傷が致命傷となったという考え方ですね。
また、もう一つは、死を覚悟した光秀が家臣あるいは近くの農民に介錯をさせたという説があります。
こちらの方が有力とされていますが、まだはっきりしたことは判っていませんね。
その後に、農民が光秀の首を織田信孝へ届けたという話も残っているようですね。
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明智光秀のおすすめ本
ここでは、明智光秀のおすすめ本をご紹介して参ります。
光秀の定理
「信長の原理」と姉妹本であることでも知られていますね。
あの時代、時を同じくして時代を駆け上り、そして一瞬にして散っていった信長と光秀。
この2人と同じもの、そして異なったものはなんだったのか、真理に迫る小説でおすすめですね。
反逆
織田信長に反逆した2人の人物にスポットを当てた『反逆』ですね。
上巻では荒木村重、下巻では明智光秀の反逆がテーマです。
上巻は光秀は登場しませんが。上巻も読むことでこの作品の織田信長像がよくわかり、なぜ光秀が反逆したのかがわかりやすくなりますよ。
国盗り物語
1巻と2巻は斎藤道三、3巻と4巻は織田信長が主人公となっている作品ですね。
後半3、4巻では、光秀もメインで登場しています。
斎藤道三・織田信長・明智光秀の関係性や、本能寺の変に至るまでの葛藤がテンポ良く描かれている作品です。
超絶おすすめです!
無料でおすすめ本を読むならKindle Unlimitedがおすすめ
明智光秀など、歴史小説やコミック本などが読めるサービスとして、Kindle Unlimitedもたくさんの書籍を扱っているサービスですね。
様々な本を月額980円(税込)で、和書12万冊以上、また、洋書も120万冊以上のKindle電子書籍が読み放題になります。
歴史系のコンテンツも多いので、勉強にもなりますね。
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明智光秀の作品を動画サービスで観る
こちらでは、明智光秀の登場するドラマや映画をご紹介して参ります。
大河ドラマ:麒麟がくる
これはもう決定版ですよね。
明智光秀が主役の大河ドラマです。
主演は長谷川博己さんですね。
戦国時代当時の各国とのせめぎ合いや地政学的な諸国との関係性など非常にわかりやすく描かれたよく出来ているドラマですね。
明智光秀〜神に愛されなかった男〜
唐沢寿明さん主演の新春ドラマとして2007年に放送されたドラマですね。
歴史映画やドラマはU-NextやAmazonプライムがおすすめ
こちらでは、過去のドラマや映画が観れるサービスを少しだけご紹介しておきます。
興味がある方は、チェックして観てください。
まずはじめに、U-Nextについてご紹介します。
歴史系の映画やドラマは、多くのビデオオンデマンドサービスによって提供されてきていますね。
その中でもやっぱり利用しやすかったり、コンテンツが豊富なのはU-NextやAmazonプライムビデオですね。
U-NextではNHKの大河ドラマも過去の作品が観ることができます。
料金は月額1990円(税別)ですね。
そして、約14万本の見放題作品と70誌以上の雑誌が読み放題! 加えてレンタル作品の視聴に利用できる1,200ポイント(1ポイント=1円)が毎月付与されます。
次にAmazonプライムビデオですね。
また、Amazonプライムビデオではコンテンツ量がとても豊富で、海外のドラマなどにも強いですね。
何れにしても、観たい作品を探して観るのでしたら、この2つのサービスは活用してみることをおすすめします。
こちらは、プライム会員ですと月額400円から利用できるというコスパの良いサービスですね。
オリジナル作品も多く、歴史以外にも楽しめるサービスです。
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明智光秀は生きていたのか?天海との関係
明智光秀は、実は生きていて、天海という名で徳川家康に仕えていたという説があるのをご存知でしょうか?
なぜそんな疑惑が持ち上がっているのかというと、それにはいくつかの理由があります。
まず光秀が生きていたという証拠としては、比叡山の松禅寺にある石灯籠が挙げられることが多いです。
この石灯籠は光秀が寄進したたもののようです。
しかし、その贈られた年号を見てみるとなんと1615年と、江戸時代となっています。
そう光秀が討たれた33年後の出来事です。
また、天海と明智光秀の筆跡が酷似していたり、また光秀の位牌が納められている寺(慈眼寺)と天海の戒名(慈眼大師)が同じだったりという一致が多くみられるのです。
明智光秀をなぜ徳川家康が重用したのか、なぜそれを裏付ける書物が残っていないですが、同一人物なら、非常に面白い事になりますね。
明智光秀のまとめ
如何でしたでしょうか?
以上、「明智光秀」についてご紹介してきました。
今回は、「明智光秀の妻や子孫、城や家紋、そしてその最後について解説をしていきます」と題してご紹介致しました。
ぜひチェックしてみて下さい。
それでは、今回はこの辺で。
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