どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。
今回は、歴史上の人物でも裏側の立役者の直江兼続についてご紹介していきます。
直江兼続の簡単な略歴は以下ですね
直江兼続のプロフィール
- 1560年:誕生
- 1598年:米沢領主となる
- 1600年:関ヶ原の戦い
- 1615年:大阪夏の陣
- 1620年:死去(60歳)
この記事でわかる事としては、「直江兼続」の縁の物事、周辺情報についてまとめています。
今回は、「愛・直江兼続の兜や家紋・名言や真田丸で演じた俳優さんや刀について解説していきます!」と題してご紹介して参ります。
ぜひ、勉強に役立てて下さいね。
それではさっそく見ていきましょう!
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もくじ
直江兼続の有名な兜について
直江兼続と言えば、あの「愛」の字を形作った兜が有名ですね。
戦国武将が使った鎧兜の中でも、個性豊かなものです。
なぜ兼続がこの文字を選んだのかはよくわかっていません。
しかし、有力な説が3つあります。
3つのうち2つの説は、武芸の神から一文字をもらったという武神説ですね。
残りの1つは、民への愛を示したという愛民説です。
武神説の2つは、それぞれ異なる神様をあげています。
それが、愛宕権現(あたごごんげん)という神様。
もう一つは、愛染明王(あいぜんみょうおう)という神様です。
どちらにも「愛」の字が入っていますね。
兼続は兜に愛の字をあしらい、戦いの場で武芸の神様にあやかろうとしたわけです。
愛宕権現(あたごごんげん)説
愛宕権現とは、仏教と日本古来の信仰が混ざって生まれた神様のようです。
“権現”というのは、仏教の神様が日本の神様として現れた姿という意味を指します。
その愛宕権現のもとになっているのは、「勝軍地蔵」という神様らしいです。
この「勝軍地蔵」には、平安時代初期の武士・坂上田村麻呂とともに戦ったという伝説も残っています。
そのことから愛宕権現は、武芸の神様として信仰を集めていた神様のようです。
愛染明王(あいぜんみょうおう)説
次に、愛染明王は仏教の神様です。
“明王”はすべてのものを仏教に導く役割をもっています。
がんこに仏教を信じない者も連れて来られるほど、明王には強い力が備わっています。
そのなかでも愛染明王は、欲を力に変える神様として有名ですね。
どんなことにも打ち勝てる武芸の神様とも解釈できます。
愛民説
最後の民愛説。
これ、実はあまり有力ではないとされていますね。
愛という言葉が確かに今と同じように使われていたとは考えられにくいからですね。
愛=LOVEという意味は、確かに明治以後の言葉ですからね〜。
直江兼続の家紋を紹介
兼続らが使用した直江氏の家紋については、結論からいえばまだその詳細が判明していないようです。
しかし、当時の絵図や肖像から推測されるものがあり、現在ではそれが直江氏家紋であった可能性が高いと想定されています。
その家紋とは、「三つ盛亀甲に三つ葉」。
三つ盛亀甲に三つ葉と便宜上の呼称を与えられ、研究者によって直江兼続の肖像画などから推測されたという、ほかに使用例のない未詳の家紋となっています。
六角の亀甲型の中に三つ葉柏のような模様を描き、それを下段二つ上段一つに配置した「三つ盛」の姿となっています。
こういう、まだ解明されていない家紋を持った武将というのもいるんですね。
これほどの人物にも関わらず、というところです。
直江兼続の名言を紹介:なかなか真似できない肝の座った名言の数々
以下では、直江兼続の名言を紹介していきます。
ちなみに直江兼続の名言は、成功に繋がるなどとも言われていますね。
とはいえ、直江兼続の残されている数々の名言、これはかなり難易度が高いですね。
相手の状況や心理を踏まえて、相手のツボをつくような言い方を絶妙に発言していますね。
しかもそれは、名将・徳川家康。
この時代に後々の天下人となる家康に、下記のような名言が残せる直江兼続の才能は、なかなか真似できるものではないでしょうね。
確かにここまで出来たら、成功できるのかも知れませんね。
以下が、その直江兼続の名言の一部です。
直江兼続の名言
- 家康様は自らに都合の良い声ばかりを聞いているのではないでしょうか。違う意見を公平にお聞きにならないのは侍の筋目に反しています。それは家康様に裏表があるからではないでしょうか。それでもこちらに非があるとおっしゃるならやむを得ません。(徳川家康への直江状)
- 反逆の意図もないのに謝罪の要求など飲めば上杉家代々の律儀さと武勇の誉れを失ってしまいます(徳川家康への直江状)
- 道を作り橋をかけて通行の整備をすることは国を預かる者として当然のことです。(徳川家康への直江状)
- 天の時 地の利 人の和
なかなか、辛辣にハッキリした物言いの人物であったというのがわかりますね。
手紙で人を動かすというのが如何に困難であるか。
だからこそ、インパクトを与えるような表現というのが有効と考えたんでしょうね。
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大河ドラマ「真田丸」で直江兼続を演じた俳優が注目されたり
一時期、ちょっと話題になりましたね。
NHK大河ドラマに、「真田丸」を含めて4年連続で出演している役者として、村上新悟さんが有名になりました。
直江兼続は大河「天地人」で妻夫木聡さんが主人公にもなった人物ですが、その後の真田丸でもクールで静かなたたずまいの直江兼続には存在感があったようです。
ちなみに、当時の評判は、いい声の「イケボ担当」というもの。
村上氏は「風林火山」(春原惣左衛門役)、「八重の桜」(大山格之助役)、「軍師官兵衛」(大谷吉継役)、「花燃ゆ」(久坂玄機役)、「真田丸」と、4つの大河ドラマに連続して出演されていますね。
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直江兼続の刀を紹介
直江兼続の刀についてこちらではご紹介します。
その刀は、「水神切兼光」(すいじんぎりかねみつ)ですね。
その生涯を上杉家に捧げた忠臣である兼続らしい逸話のある刀です。
兼続は、上杉家に伝わるこの刀剣・日本刀を景勝より拝領し、愛用したと言われています。
上杉家の家老として、領国の経営を任されていた兼続。
そんな兼続が、あるとき洪水で決壊しそうになっていた川に行き、水神を斬ったために洪水が収まった、という伝説が残っています。
もう一説には、水神を斬ったのではなく、かざして祈願したとも伝わっていますね。
刀剣・日本刀好きの謙信の集めた錚々たる刀剣・日本刀の中から景勝が選んだ名刀リスト「上杉家御手選三十五腰」の1振のようです。
所蔵していた上杉家が国宝指定を断ったため、重要美術品認定を受けたと伝わっています。
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直江兼続のまとめ
如何でしたでしょうか?
以上、「直江兼続」についてご紹介してきました。
今回は、「愛・直江兼続の兜や家紋・名言や真田丸で演じた俳優さんや刀について解説していきます!」と題してご紹介致しました。
ぜひチェックしてみて下さい。
それでは、今回はこの辺で。
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