どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。
今回は、歴史上の人物でも活動家である「大隈重信」についてご紹介していきます。
大隈重信の簡単な略歴は以下ですね
大隈重信のプロフィール
- 1838 年:誕生
- 1881年:政変のより「参議」を辞任
- 1882年:10 月 東京専門学校を開校 (のちの早稲田大学)
- 1922年:死去(84歳)
この記事でわかる事としては、「大隈重信」の縁の物事、周辺情報についてまとめています。
今回は、「大隈重信・早稲田大学創設者とは?名言や彼の功績、記念館や子孫について紹介します!」と題してご紹介して参ります。
ぜひ、勉強に役立てて下さいね。
それではさっそく見ていきましょう!
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大隈重信の名言紹介
こちらでは、大隈重信の名言についてご紹介していきます。
早稲田大学創設者としての大隈重信の名言です。
学校を作る人というのは、たくさんの残された資料、言葉の数々というのが残っていますね。
後に続いていった人たちも、それらから大隈重信の名言として学び取っている印象があります。
まずは、勇気について述べたこちら。
学問は脳、仕事は腕、
身を動かすは足である。
しかし、卑しくも大成を期せんには、
先ずこれらすべてを統(す)ぶる
意志の大いなる力がいる
これは勇気である。
学業を重んじたからこそ、大志、意思の大切さを説いた名言ですね。
次に、生きる意味について発した言葉ですね。
人間が生きるのは、社会の利益のために存在するということだ。
ただ生きてるのではつまらない。
生き方についても、世のため、人のためというところを忘れずに志した名言ですね。
次に、成功と失敗についての名言です。
諸君は必ず失敗する。
成功があるかもしれませぬけれども、成功より失敗が多い。
失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たねばならぬ。
必ず失敗する。
これは面白い視点ですね。
だからこそ、恐怖の克服というのが欠かせないのであると説いた名言ですよね。
大隈重信5訓。
1.物事を楽観的に見よ。
2.怒るな。冷静に物を見よ。
3.むさぼるな。
4.愚痴をこぼすな。
5.世の中の為に働け。
まさに、成功者となる者であれば心がけておきたい精神だと思います。
いや〜、本質をついてきますよね。
大隈重信とは何を成したのか?
肥前藩 (現在の佐賀県)出身の人ですね。
歴史として、政治家、教育者として数々の実績を残してこられた人ですね。
立憲改進党の党首となったりして、藩閥政府=いわゆる、薩摩藩や長州藩の出身者が政治の実権をにぎっている政府とよく対立した人物としても名を残されています。
維新後、明治新政府に参加し、参与や参議、大蔵卿 (大蔵大臣)にもなられていますね。
1881年には、政府を追われ、翌年、立憲改進党をつくっています。
また、東京専門学校=現早稲田大学を創立した人として最も有名かも知れませんね。
早稲田大学の初代総長をつとめたり、のち、政府に復帰し、伊藤博文内閣、黒田清隆内閣のもと外務大臣をつとめ、条約改正に努力した。
1898年には、板垣退助とともに日本で最初の政党内閣をつくっていますね。
1914年、一時政界から退いていたが、再び総理大臣となっています。
その翌年の1915年、中国に二十一か条の要求を出しています。
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大隈重信の記念館
大人:330円・小中学生:160円
団体(20名以上)大人:220円・小中学生:110円
住所:〒840-0054 佐賀県佐賀市水ヶ江2丁目11−11
政治家・早稲田大学の創設者として有名な大隈重信氏の生誕125年を記念し、昭和41年11月、大隈重信記念館が落成しました。
設計は早稲田大学名誉教授・今井兼次博士。
昭和42年10月、建設委員会から佐賀市に寄贈され開館にいたりました。
平成27年2月にリニューアルオープン。
現在では館内に大隈重信に関する歴史資料を展示するほか、大隈侯の功績を紹介しています。
大隈重信の子孫は?
大隈重信には実子が長女の熊子しかいなかったようですね。
陸奥国盛岡藩の第15代藩主の南部利剛(なんぶとしひさ)の次男・英麿(ひでまろ)を婿養子として迎えました。
東京専門学校の初代校長など早稲田大学で要職に就かせます。
しかし、英麿自身の借金問題で熊子と離婚してしまい、そして、大隈家からも離れます。
その後、肥前国平戸藩第12代藩主の松浦詮(まつらあきら)の三男・信常(のぶつね)を養子に迎えます。
大隈信常は東京帝国大学法科大学卒業後、衆議院議員、貴族院議員を勤め、早稲田大学の名誉総長も勤めました。
また現在の日本野球機構(NPB)の前身となる日本野球連盟の初代総裁も勤めています。
やっぱり活動家が多い、大隈一族なんでしょうね。
大隈重信のまとめ
如何でしたでしょうか?
以上、「大久庭重信」についてご紹介してきました。
今回は、「大隈重信・早稲田大学創設者とは?名言や彼の功績、記念館や子孫について紹介します!」と題してご紹介致しました。
ぜひチェックしてみて下さい。
それでは、今回はこの辺で。
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