どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。
今回は、歴史上の人物でも怖いルックスのな「大谷吉継」についてご紹介していきます。
大谷吉継の簡単な略歴は以下ですね
大谷吉継のプロフィール
- 1559年:誕生※諸説あります
- 1582年:本能寺の変
- 1585年:キリシタンに改名
- 1600年:関ヶ原の戦いにて小早川秀秋の離反をきっかけに切腹(42歳※36際)
この記事でわかる事としては、「大谷吉継」の人生に関わる物事、いわゆる周辺情報についてまとめています。
今回は、「大谷吉継とは何者か?病気やマスク、石田三成との関係や最後の首と子孫を解説!」と題してご紹介して参ります。
ぜひ、勉強に役立てて下さいね。
それではさっそく見ていきましょう!
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もくじ
大谷吉継がかかった病気とは?
大谷吉継は、当時は「業病」と言われる病気にかかっていたとわかっています。
この業病とは、前世の罪の報いとして発する病気という意味かつては使われていました。
現代では、この業病の症状がハンセン病ではなかったのではないか?と言われてます。
大谷吉継自身がハンセン病だったかは断定されていないようですけど、どうやらそうではないかというのが通説のようです。
大谷吉継のマスク姿
大谷吉継はハンセン病ということもあり、皮膚にも痛みがある病気だったようですので、戦の時などはよくマスク姿でいたと言われていますね。
大谷吉継のマスクが以下の画像です。

大谷吉継と石田三成の関係は
映画の「関ヶ原」にもよく描かれていますが、大谷吉継と石田三成は良き仲だったようですね。
当初から時勢を見極めようと一緒にしたり、戦も一緒に同盟を組んで家康と戦ったりしていることもあり、非常にお互いを助け合うような関係性だったようですね。
実際に、大谷吉継は関ヶ原の戦いで三成側について最後を迎えていますね。
大谷吉継の首はどこへいったのか?

関ヶ原の戦いで、石田三成率いる西軍の参謀として活躍した大谷吉継(1559~1600)の首塚と伝えられる石塔が上記の写真の首塚です。
敵に首を渡さないよう、湯浅五助の介錯で自刃して、甥の僧・祐玄が首を錦の袋に入れて、敦賀の逃亡の途中に、この地に埋め隠したといわれていますね。
最後の最後まで壮絶ですね。
なお、この長浜市余呉町小谷(おおたに)は、吉継の出生地と伝わっています。
大谷吉継の首塚の場所は以下の場所です。
大谷吉継の登場するおすすめ作品
ここでは、大谷吉継が登場するおすすめ作品をご紹介して参ります。
映画:関ヶ原
先ほども紹介しましたが、映画関ヶ原はとても有名ですね。
大谷刑部と呼ばれている大谷吉継の活躍から最後まで、結構インパクトのある形で登場しています。
NHK大河ドラマ:真田丸
次に、有名なのは真田丸ですね。
歴史映画やドラマはU-NextやAmazonプライムがおすすめ
大谷よす注ぐだけでなく、こちらでは、過去のドラマや映画が観れるサービスを少しだけご紹介しておきます。
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まずはじめに、U-Nextについてご紹介します。
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次にAmazonプライムビデオですね。
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オリジナル作品も多く、歴史以外にも楽しめるサービスです。
歴史映画やドラマを観るのにおすすめのサービス
大谷吉継のまとめ
如何でしたでしょうか?
以上、「大谷吉継」についてご紹介してきました。
今回は、「大谷吉継とは何者か?病気やマスク、石田三成との関係や最後の首と子孫を解説!」と題してご紹介致しました。
ぜひチェックしてみて下さい。
それでは、今回はこの辺で。
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