どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。
今回は、歴史上の人物でも戦略的思考に強かった「真田昌幸」についてご紹介していきます。
真田昌幸の簡単な略歴は以下ですね
真田昌幸のプロフィール
- 1547年:誕生
- 1580年:上州沼田城をおさめる
- 1582年:武田家滅亡
- 1585年:第一次上田城合戦
- 1600年:第二次上田城合戦(関ヶ原の戦い)
- 1611年:死去(歳)
この記事でわかる事としては、「真田昌幸」の縁の物事、いわゆる「真田昌幸」の周辺情報についてまとめています。
今回は、「真田昌幸とはどんな人か?名言や死因について、おすすめ本について紹介します。」と題してご紹介して参ります。
ぜひ、勉強に役立てて下さいね。
それではさっそく見ていきましょう!
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もくじ
真田昌幸とはどんな人か?
ここでは、真田昌幸とはどんな人かをご紹介して参ります。
真田昌幸は、一番有名なのは真田幸村の父親であるという点ですね。
元々は、甲斐国の武田信玄の家臣でした。
信濃先方衆となった地方領主が真田雅幸となりましたね。
武田信玄と武田勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立しています。
上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた人物として知られていますね。
関ヶ原の戦いで西軍についたために、左遷させられてしまいますね。
真田昌幸の名言を紹介
「いかに上に錦を着ていても、心が愚かなら役に立たない。刀も同じだ。この柄に巻いた紐を見て笑ったが、紐には特別な工夫がしてある。私が打ったものだ」
真田昌幸の死因とは
1600年の関ヶ原の戦いで石田三成の西軍についた真田昌幸と真田幸村の親子。
一方で、長男の真田信幸と本多忠勝のうったえで死罪はのがれられました。
その後、今の和歌山県の山中に追放となっていましたね。
そして、1611年6月4日、真田昌幸は追放先の九度山で病に倒れ亡くなります。
九度山での暮らしは、真田昌幸と幸村親子は、日々、碁盤を挟んで対局していたと言われています。
合戦の構えや駆け引きなどの稽古として行っていたようです。
死の直前、「あと3年寿命がもてば、大阪城に入ってわが謀略をもって武名をあげてみせる」と語ったそうです。
流人として人生に幕を閉じることに悔しがったようですね。
真田昌幸のおすすめ本を紹介
こちらでは、真田昌幸のおすすめ本をご紹介して参ります。
真田昌幸のおすすめ本①:真田昌幸 徳川、北条、上杉、羽柴と渡り合い大名にのぼりつめた戦略の全貌
こちらの本は、大河ドラマの『真田丸』でも時代考証を務めた歴史学者の方が研究をもとした形で真田昌幸の一生を記しているおすすめ本です。
客観的な昌幸像を明らかにしていますね。
史実から忠実に真田昌幸が学べる名著です。
真田昌幸のおすすめ本②:謀将 真田昌幸
武田家の滅亡後から独立、織田家との駆け引きや豊臣家・徳川とのやりとりなど数々の生きる道を模索した真田昌幸。
徳川の大軍との合戦や関ヶ原の戦いで、謀将としてその名を知らしめた真田昌幸について学べるおすすめ本ですね。
下巻ではおもに昌幸の活躍が描かれています。
彼の色恋事情にも触れられていて、謀略・調略だけではない昌幸の新たな人物像が描かれ、親近感も湧きますね。
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真田昌幸のまとめ
如何でしたでしょうか?
以上、「真田昌幸」についてご紹介してきました。
今回は、「真田昌幸とはどんな人か?名言や死因について、おすすめ本について紹介します。」と題してご紹介致しました。
ぜひチェックしてみて下さい。
それでは、今回はこの辺で。
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