戦国時代

名将「加藤清正」の虎を仕留めた有名な逸話や名言と謎の多い加藤清正の最後と死因について解説します!

どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。

今回は、豊臣家・徳川家を支えた剣豪「加藤清正」についてご紹介していきます。

加藤清正の簡単な略歴は以下ですね

加藤清正のプロフィール

  • 1562年:誕生
  • 1581年:鳥取城攻め
  • 1582年:備中・冠山城攻め
  • 1582年:山崎の戦い
  • 1600年:関ヶ原の戦い(東軍)
  • 1611年:死去(49歳)

この記事でわかる事としては、「加藤清正」の縁の物事、周辺情報についてまとめています。

今回は、「名将「加藤清正」の虎を仕留めた有名な逸話や名言と謎の多い加藤清正の最後と死因について解説します!」と題してご紹介して参ります。

ぜひ、勉強に役立てて下さいね。

それではさっそく見ていきましょう!

加藤清正にまつわる「虎」の逸話

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%B8%85%E6%AD%A3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kat%C5%8D_Kiyomasa.jpg

こちらでは、有名な加藤清正と虎の逸話についてご紹介して参ります。

加藤清正が出兵していた朝鮮での出来事

ある時に加藤清正の軍が朝鮮の大きな山に陣営を構え、夜になると、山に住んでいる大きな虎がやって来て軍馬に襲いかかるという出来事がありました。

相当に大きく、力のある虎だったようですね。

この報告を聞いた加藤清正は、「なんと口惜きことよ」と言って、おおいに怒ったと言われています。

翌日には清正の側仕えをする家臣の上月左膳もかみ殺されてしまいます。

たび重なる襲撃に加藤清正は激怒し、虎を退治してくれんと、家臣たちに命じて山を取り囲ませます。

虎を捜索中、一匹の虎が茂みから飛び出して来ました。

一匹の虎が加藤清正の前に現れる

そして加藤清正の前に現れます。

この時に清正は大きな岩の上に登り、家臣たちに指示を出していました。

そして、虎の突進にも、まったく慌てず、鉄砲を携え落ち着いて虎に狙いをつけたようです。

虎と加藤清正の間は54メートルで、当時の火縄銃でも、十分に有効な射程距離。

しかし、虎は鉄砲で狙われていることに気がつき、加藤清正をにらんで立ち止まったと言います。

家臣たちも鉄砲を構えて虎を撃とうとしますが、清正は「撃つな!」と命じます。

「わしが自ら、この虎を撃ち殺してくれよう」

虎に殺された家臣の仇討ちを成す加藤清正

そう部下へ言い放ち、これまで殺された家臣達の仇討ちに燃える心情を露わにしたと伝えられています。

再び加藤清正に向かって突進した虎。

清正はそれに対し、虎の喉を目がけて銃弾を発射します。

これが見事に命中し、ただの一発で虎は地面に倒れ伏したようです。

虎は起き上がらんとしもがきますが、果たせず、そのまま絶命します。

ただの一発で見事に虎をしとめた加藤清正のこの勇気が称賛され、広くこの逸話が知られることになりました。

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加藤清正の死因の梅毒に犯された最後とは?

こちらでは、加藤清正の最後についてもご紹介していきます。

加藤清正の死因も梅毒だった?梅毒で死んだ名将たち

日本の歴史上、多く名を残した英雄たちの死因は様々ですが、意外にも「梅毒」で命を失った武将は多いと言いますね。

名軍師として名高い黒田官兵衛。

家康の次男で越前北ノ庄初代藩主の結城秀康。

そして、熊本のこの加藤清正などがこの病にかかっていたとの説が有力とされています。

「唐瘡」「琉球瘡」と呼ばれた梅毒。

これらは当時は南蛮からもたらされたというのが定説でした。

「その伝来は鉄砲よりも早く、1510年代に、中国人や琉球人が南蛮人から感染し、九州から全国各地へ伝播したと考えられる」

歴史研究家の川口素生さんはこのように考えておられましたね。

関連記事:最強の軍師『黒田官兵衛』の家紋や城、子孫やゆかりの地福岡について紹介します!

死因の原因は、加藤清正が複数の女性との関係を持っていたため?

歴史作家の山崎光夫さんも、「戦国時代は複数人と関係を持つことがステータスの一種。」と言われております。

家康は記録されているだけで16人の側室をもっていたとも言われていますね。

また、当時は男性同士が関係を持つことも珍しくなかった時代だとも聞きます。

もちろん、コンドームもない時代ですね。

この時代の人としては、「5人に1人は梅毒などの性病に罹っていたはず」という考え方を示していますね。

それくらい、性交は子孫繁栄のためにも行われなければいけなかった時代というのも伺えます。

加藤清正の死因である性病の蔓延時代

もちろん梅毒以外の性病が蔓延していたことも考えられています。

しかし、淋病は重症化し死因となることがまれで史料に残されることが少ないようです。

江戸時代に入ると吉原などの遊郭が発達することで、梅毒の流行に拍車が掛かったようですね。

『解体新書』の著者で医師の杉田玄白の回想には「1000人の患者のうち、700~800人は梅毒だった」という記述も残されているほどです。

それほどまでに、性行為は武士にとっては日常でした。

また、これも意外に思われるかもしれませんが、幕末に西洋医学を日本に伝えたオランダの医師・ボンベは以下のように指摘しています。

「日本人は夫婦以外との性行為に対する罪悪感がない。遊郭での性病対策もなく一般家庭に蔓延している」。

現代ではまれだが、梅毒は潜伏期間を含め感染から死に至るまで通常は10年以上かかるとされています。

仮に歴史上の偉人が梅毒に感染しても、重症化するまでに他の病などで命を落とすケースもあったかもしれません。

その場合は死因として史料に残されることがないですね。

実際にはもっと多くの有名な武将が性病に悩まされていたと見ていいという見解が通説ですね。

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加藤清正の名言

こちらでは、加藤清正の残した名言についてご紹介して参ります。

特に有名なのが、以下の名言ですね。

加藤清正の名言

  • 「普段から武士道の心がけを練っていなかったならば、いざという場合に潔く死ぬことはできにくいものだ。よくよく心を武に刻むことが肝要である。」
  • 「乱舞は一切停止する。太刀や刀をとれば人を斬ろうという心が起こるのが、武士として当り前のことであるから、武芸のほかにやたらに刀を抜いて乱舞するような者に対しては、切腹を申しつける。」
  • 「鉄砲隊を率いる鉄砲頭は、日頃申しつけたように、鉄砲を役に立て、その次は、槍、太刀、刀の衆へ引き継ぎ、その後の展開に注意し、後詰めをすることが肝要である。一人一人の突出した働きは、武者の中にははいらぬ。」
  • 「軍の礼法として侍が心得ねばならないのは、いらないところに儀礼を好んではならないことである。」
  • 「上一人の気持ちは、下万人に通ずる。」




加藤清正のゆかりのある刀を紹介:加藤国広

加藤清正の愛刀した刀は、加藤国広ですね。

1617年(元和3年)に、娘の八十姫が紀州の「徳川頼宣」へ正室として嫁いだ際、持たせたと言われる日本刀です。

その後の100年後、1716年(享保元年)、紀州藩5代藩主だった「徳川吉宗」が8代将軍になった際に、将軍家へ持参。その後、創立された御三卿の田安徳川家へ与えました。

その後も売りに出されたりなど転々とし、現在では重要文化財として三井記念美術館所蔵されています。

加藤清正のおすすめ本

ここでは、加藤清正のおすすめ本をご紹介していきます。

加藤清正―朝鮮侵略の実像 (歴史文化ライブラリー)

豊臣秀吉の子飼いの武将だった清正の忠君・武勇の英雄である部分と無慈悲・兇暴な侵略者の部分と、秀吉の朝鮮侵略における清正に焦点をあてている作品ですね。

加藤清正はある種人気の武将でもありますが、朝鮮出兵でも華々しく戦い、朝鮮の民もいたわった英雄としても扱われていますね。

この本では加藤清正を中心にして、朝鮮出兵の様子を細かく解説されています。

しかも、史料を追いながら説明さてていますね。

慶長の役はクライマックスである蔚山城の戦いについて詳細に描かれています。

加藤清正がどのように考え行動したかについて分かりやすく書かれていますね。

先述の虎のシーンもぜひ読んでみてください。

加藤清正

こちらも、加藤清正の生涯が描かれている歴史小説でおすすめ本ですよ。

実際の加藤清正の史実に基づいた丁寧な時代背景が元となっております。

当時の情勢や戦歴などもストーリーとして書いてあるので分かりやすいですね。

特に、加藤清正という人物もどのような人柄だったのかについても感じ取れる本です。

朝鮮出兵時のストーリーも厚く描かれており、事実を知ることができるでしょう。

加藤清正としては、本人の気弱さを克服するために実は法華経を唱えていたことなども描かれています。

また、儒学を学んでいたことなど、加藤清正の本質について改めて知ることも多い記述がたくさんあります。

秀吉への忠誠心と関ヶ原の合戦時での徳川側へ着いた時の心境、そして熊本への思いなど、加藤清正の魅力に迫った本ですね。

武将としてはゲームなどで名前も有名ですが、人物として作品になっているのは少ない気もしますね。

非常に真面目で誠実な武将らしい武将といった感じがこの本でわかるのではないかなと思います。

無料でおすすめ本を読むならKindle Unlimitedがおすすめ

引用:Kindle

加藤清正などの歴史小説やコミック本などが読めるサービスとして、Kindle Unlimitedもたくさんの書籍を扱っているサービスですね。

様々な本を月額980円(税込)で、和書12万冊以上、また、洋書も120万冊以上のKindle電子書籍が読み放題になります。

歴史系のコンテンツも多いので、勉強にもなりますね。

ぜひこちらも登録しておくことをおすすめします。

関連リンク:Kindle Unlimitedに登録して歴史本を読む




加藤清正が登場する映画やドラマのおすすめ作品

こちらでは、加藤清正が登場する映画やドラマについてご紹介して参ります。

加藤清正が登場するおすすめ映画:関ヶ原

こちらは岡田准一さんが石田三成、役所広司さんが徳川家康を描いた歴史映画ですね。

原作は巨匠・司馬遼太郎さんですが、義の三成と利の家康という対象的な2人の人物の思想・執念が描かれているとても素晴らしい作品ですね。

加藤清正を演じていたのは松角洋平さんですね。

ここまでの小説やイメージと同じく、情を大切にする武将を見事に演じられていますね。

関ヶ原は、AmazonプライムビデオU-Nextなどのビデオ・オンデマンド・サービスで視聴できるので、よかったらチェックして観てください。

加藤清正が登場するおすすめドラマ:大河ドラマ「真田丸」

こちらは大河ドラマの「真田丸」ですね。

真田幸村が主人公で、堺雅人さんが幸村を演じられていましたね。

加藤清正を演じたのは新井浩文さんですね。

こちらは、これまでの加藤清正のイメージを覆すような、クールな印象の清正が演じられてますね。

これはこれで、武将らしいです。

大河ドラマなどの作品はU-NextでNHKオンデマンド作品が視聴できますので、チェックして観てください。

関連記事:真田幸村(信繁)の家紋や城・名言や最後についてご紹介!名作映画『真田幸村の謀略』や『真田丸』も

歴史映画やドラマはU-NextやAmazonプライムがおすすめ

こちらでは、過去のドラマや映画が観れるサービスを少しだけご紹介しておきます。

興味がある方は、チェックして観てください。

引用:U-Next画面

まずはじめに、U-Nextについてご紹介します。

歴史系の映画やドラマは、多くのビデオオンデマンドサービスによって提供されてきていますね。

その中でもやっぱり利用しやすかったり、コンテンツが豊富なのはU-NextやAmazonプライムビデオですね。

U-NextではNHKの大河ドラマも過去の作品が観ることができます。

料金は月額1990円(税別)ですね。

そして、約14万本の見放題作品と70誌以上の雑誌が読み放題! 加えてレンタル作品の視聴に利用できる1,200ポイント(1ポイント=1円)が毎月付与されます。

引用:Amazonプライムビデオ

次にAmazonプライムビデオですね。

また、Amazonプライムビデオではコンテンツ量がとても豊富で、海外のドラマなどにも強いですね。

何れにしても、観たい作品を探して観るのでしたら、この2つのサービスは活用してみることをおすすめします。

こちらは、プライム会員ですと月額400円から利用できるというコスパの良いサービスですね。

オリジナル作品も多く、歴史以外にも楽しめるサービスです。

加藤清正のまとめ

如何でしたでしょうか?

以上、「加藤清正」についてご紹介してきました。

今回は、「名将「加藤清正」の虎を仕留めた有名な逸話や名言と謎の多い加藤清正の最後と死因について解説します!」と題してご紹介致しました。

ぜひチェックしてみて下さい。

それでは、今回はこの辺で。