どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。
今回は、歴史上の人物でも最も現代への道を開いた立役者とも言える最後の将軍「徳川慶喜」についてご紹介していきます。
徳川慶喜の簡単な略歴は以下ですね
徳川慶喜のプロフィール
- 1837年:誕生
- 1886年:将軍職に付く
- 1867年:大政奉還
- 1913年:死去(77歳)
この記事でわかる事としては、「徳川慶喜」の縁の物事、の周辺情報についてまとめています。
今回は、「徳川慶喜とは何者だったのか?写真やお墓、大河ドラマや大政奉還を解説!渋沢栄一との出会いも」と題してご紹介して参ります。
ぜひ、勉強に役立てて下さいね。
それではさっそく見ていきましょう!
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もくじ
徳川慶喜とは何者だったのか?
ここでは、徳川慶喜とは何者だったのかについてご紹介します。
徳川慶喜は、水戸藩主であった徳川斉昭(とくがわなりあきら)の7番目の男子として生まれました。
この兄弟の中でも、徳川慶喜は特に優秀だったと言われています。
そして、11歳になると一橋家(ひとつばしけ)に養子に入ることになります。
一橋家は将軍を出す家柄でした。
また、慶喜は、13代将軍家定(いえさだ)の後継の候補となっていきます。
しかし、井伊直弼の推す徳川慶福(とくがわよしとみ)が14代将軍に選ばれ、慶福は将軍となり徳川家茂として将軍職につくのでした。
しかし、1866年、14代将軍家茂の病死を受けて、徳川慶喜が29歳で15代将軍となります。
この前から、井伊直弼との仲も険悪だったようですね。
しかし、その井伊直弼が暗殺されることで、政治を助ける立場となってその後将軍職についていきます。
将軍となっても、江戸ではなく京都を中心に活動しました。
目的は、有力諸侯と協調を図ろうとした点ですね。
薩摩藩などは有力諸藩との対立が広がり、江戸幕府の弱体化に歯止めが聞かず、最終的には徳川慶喜は翌1867年に、政権を朝廷に返上する大政奉還を実施します。
この背景には、やっぱり勢力を拡大していた長州藩、薩摩藩には勝てないだろうという風に踏んでいたようですね。
また、土佐の山内容堂が提案してきたこの大政奉還に乗っかって実施したようです。
この決断は、徳川家の生き残りをかけた決断でしたね。
また、戊辰戦争では、天皇の敵である朝敵とされ、これ以上の戦いは意味がないと考え、江戸城を新政府軍に明け渡たす江戸城無血開城も決行します。
こうして250年続いた江戸幕府は幕を下ろしたのでした。
その後、徳川慶喜は駿河(現在の静岡県)で静かに暮らしたと言われています。
徳川慶喜と渋沢栄一の関係とは
こちらでは、徳川慶喜と渋沢栄一の関係についてご紹介して参ります。
徳川慶喜と渋沢栄一は、京都で出会っています。
江戸で数々の刺激を受けた渋沢栄一は、江戸幕府の腐敗を洗濯しようという思いを抱くようになっていきます。
そして、1863年には、倒幕のためにクーデターを目論見ますが失敗してしまいます。
江戸幕府に追われることを恐れ、京都への亡命を考えたとき頼りにしたのが、一橋徳川家の家臣で、渋沢栄一が江戸に出てから出会った平岡円四郎でした。
この縁により、一橋徳川家に仕官した渋沢栄一は、1864年に徳川慶喜への拝謁が実現したようですね。
徳川慶喜の写真とおすすめ本を紹介
こちらでは徳川慶喜の写真をご紹介して参ります。

若い頃の写真が上の写真ですね。

こちらで写真集も売られていたようですね。
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徳川慶喜が登場するおすすめ大河ドラマ
徳川慶喜が登場する大河ドラマは結構たくさんありますね。
- 『徳川慶喜』(1998年、NHK大河ドラマ、徳川慶喜/本木雅弘)
- 『新選組!』(2004年、NHK大河ドラマ、徳川慶喜/今井朋彦)
- 『篤姫』(2008年、NHK大河ドラマ、徳川慶喜/平岳大)
- 『龍馬伝』(2010年、NHK大河ドラマ、徳川慶喜/田中哲司)
- 『八重の桜』(2013年、NHK大河ドラマ、徳川慶喜/小泉孝太郎)
- 『花燃ゆ』(2015年、NHK大河ドラマ、徳川慶喜/森慎太郎)
- 『西郷どん』(2018年、NHK大河ドラマ、徳川慶喜/松田翔太)
- 『青天を衝け』(2021年、NHK大河ドラマ、徳川慶喜/草彅剛)
歴史映画やドラマはU-NextやAmazonプライムがおすすめ
こちらでは、過去のドラマや映画が観れるサービスを少しだけご紹介しておきます。
興味がある方は、チェックして観てください。
まずはじめに、U-Nextについてご紹介します。
歴史系の映画やドラマは、多くのビデオオンデマンドサービスによって提供されてきていますね。
その中でもやっぱり利用しやすかったり、コンテンツが豊富なのはU-NextやAmazonプライムビデオですね。
U-NextではNHKの大河ドラマも過去の作品が観ることができます。
料金は月額1990円(税別)ですね。
そして、約14万本の見放題作品と70誌以上の雑誌が読み放題! 加えてレンタル作品の視聴に利用できる1,200ポイント(1ポイント=1円)が毎月付与されます。
次にAmazonプライムビデオですね。
また、Amazonプライムビデオではコンテンツ量がとても豊富で、海外のドラマなどにも強いですね。
何れにしても、観たい作品を探して観るのでしたら、この2つのサービスは活用してみることをおすすめします。
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徳川慶喜の死因と残した名言・遺言とは
こちらでは、徳川慶喜の死因についてご紹介していきます。
徳川慶喜の死因は風邪をこじらせた肺炎だったと言われています。
東京の自宅で亡くなったようですね。
そして、臨終の前に語っていた言葉がとても名言としてのこされています。
「家康公は日本を統治する為に幕府をつくられた、私はその幕府を葬り去る為に将軍になったのだ」
250年続いた幕府に幕を閉じた徳川慶喜の、まさに幕府を終わらせたことが自分の人生だったと言い残した言葉ですね。
大政奉還にしても、江戸城無血開城にしても、徳川慶喜はいつも敵前逃亡的な行動をとっていますね。
徳川幕府の将軍としては求められていない行動だと思いますが、日本全体で見たときは、恐らく彼の行動はすべて正解だったのでしょうね。
徳川慶喜の墓の場所は?
徳川慶喜のお墓の場所についても解説します。
徳川慶喜のお墓は谷中墓地という都内の場所にありますね。

歴代天皇のお墓がとても質素であったことに感銘を受けて、ご本人も質素なお墓を望んだと言われていますね。
徳川慶喜が決断した大政奉還
1867年、徳川慶喜は、朝廷に大政奉還を行います。
大政奉還を行った慶喜の意図は、政権を返上することで、新しい政府の中でも主導権を確保しようとしたものだと言われています。
中には、大政奉還をすることによって、将軍と摂関を合一した権力を握ろうとしたともいわれています。
大政奉還は、土佐藩の山内容堂から幕府に建白されたものでした。
薩摩藩の大久保利通は、公家の岩倉具視と共謀して「討幕の密勅」を得ていました。
そして、一挙に幕府を倒そうと考えていました。
「勅」とは天皇の命令で、当時、明治天皇は幼少であり、岩倉が勝手に創り上げたものと考えられています。
土佐藩の後藤象二郎が老中板倉勝静に建白書を提出したのは、10月3日のことです。板倉は、何も言わずに受け取りました。
徳川慶喜は、かつて政事総裁職の任にあった松平春嶽に板倉を遣わし、大政奉還に関する意見を求めていました。
慶喜は、土佐藩に通知し、老中や大目付・目付らを二条城に招集し、大政奉還を決断したことを告げました。
そして翌日、京都にいた諸藩の重臣を二条城に招集し、大政奉還の意見書を示して諮問しまし、慶喜は薩摩藩に対しては、特に家老小松帯刀を指名して召しました。
小松は薩摩藩の佐幕派であり、大久保などが出てくると面倒だと思ったからだったと後に語っています。
これが、日本を近代化へ導くキッカケとなる大政奉還が行われたときの日本のごたごたでした。
徳川慶喜のまとめ
如何でしたでしょうか?
以上、「徳川慶喜」についてご紹介してきました。
今回は、「徳川慶喜とは何者だったのか?写真やお墓、大河ドラマや大政奉還を解説!渋沢栄一との出会いも」と題してご紹介致しました。
ぜひチェックしてみて下さい。
それでは、今回はこの辺で。
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