どもども、武将好き歴史ファンのジョーです。
今回は、歴史上の人物でももっとも信長に信頼されたという「丹羽長秀」についてご紹介していきます。
丹羽長秀の簡単な略歴は以下ですね
丹羽長秀のプロフィール
- 1535年:誕生
- 1560年:桶狭間の戦いに従軍
- 1581年:織田信長の二家老に選ばれる
- 1582年:本能寺の変・清洲会議
- 1585年:寄生虫病により死去(51歳)
この記事でわかる事としては、「丹羽長秀」の縁の物事、いわゆる「丹羽長秀」の周辺情報についてまとめています。
今回は、「丹羽長秀とはどんな人物だったのか?死因や子孫について紹介!大河ドラマ麒麟がくるの俳優や建てた城を紹介」と題してご紹介して参ります。
ぜひ、勉強に役立てて下さいね。
それではさっそく見ていきましょう!
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もくじ
丹羽長秀とは何者だったのか?
こちらでは、丹羽長秀とは何者だったのかについて、ご紹介して参ります。
丹羽長秀は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名というふうにウィキペディアなどでも紹介されていますね。
冒頭にも書きましたが、信長からはかなり厚い信頼を獲得していた人物だったようです。
織田家家臣として使えて、後の豊臣秀吉も、羽柴生を名乗っていた時に、丹羽長秀の「羽」の文字をとって羽柴生を名乗ったと言われていますね。
丹羽長秀の死因は寄生虫病
こちらでは、丹羽長秀の死因は何だったのかについてご紹介して参ります。
丹羽長秀の死因は、寄生虫病というふうに言われていますね。
寄生虫病とは、寄生虫によって引き起こされる感染症の総称にことを言います。
寄生虫病は、植物から哺乳類までほとんど全ての生物で発生し得る病気です。
また、実は胃癌が死因であるなど、丹羽長秀の死因については、実は諸説あるようです。
丹羽長秀の子孫は?
こちらでは、丹羽長秀の子孫についてご紹介していきます。
かつてサッカー日本代表にも選ばれていた、ガンバ大阪のDF・丹羽大輝選手が挙げられますね。
丹羽長秀の末裔ではないかと言われている人物です。
大河ドラマ:麒麟がくるの丹羽長秀役
こちらでは、大河ドラマ「麒麟がくる」で丹羽長秀を演じた俳優さんについてご紹介して参ります。
俳優:松田賢二
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」第44,45回に丹羽長秀 役で出演しております。
よろしきりんお願い申し上げます。https://t.co/xObxSnNL3j— 松田賢二 (@kenji__matsuda) January 1, 2021
俳優の松田賢二さんが丹羽長秀を演じていますね。
ご本人のツイッターでも発信されており、どこまで信長に忠実な家臣が演じられるのか楽しみでしたね。
歴史映画やドラマはU-NextやAmazonプライムがおすすめ
こちらでは、過去のドラマや映画が観れるサービスを少しだけご紹介しておきます。
興味がある方は、チェックして観てください。
まずはじめに、U-Nextについてご紹介します。
歴史系の映画やドラマは、多くのビデオオンデマンドサービスによって提供されてきていますね。
その中でもやっぱり利用しやすかったり、コンテンツが豊富なのはU-NextやAmazonプライムビデオですね。
U-NextではNHKの大河ドラマも過去の作品が観ることができます。
料金は月額1990円(税別)ですね。
そして、約14万本の見放題作品と70誌以上の雑誌が読み放題! 加えてレンタル作品の視聴に利用できる1,200ポイント(1ポイント=1円)が毎月付与されます。
次にAmazonプライムビデオですね。
また、Amazonプライムビデオではコンテンツ量がとても豊富で、海外のドラマなどにも強いですね。
何れにしても、観たい作品を探して観るのでしたら、この2つのサービスは活用してみることをおすすめします。
こちらは、プライム会員ですと月額400円から利用できるというコスパの良いサービスですね。
オリジナル作品も多く、歴史以外にも楽しめるサービスです。
歴史映画やドラマを観るのにおすすめのサービス
丹羽長秀が建てた信長の城
こちらでは、丹羽長秀が作った城についてご紹介して参ります。
小牧山城
丹羽長秀が織田信長の命令で作った城ですね。
1563年に築いたと言われています。
小牧山城には山の麓から中腹までを直線的につなぐ大手道と呼ばれる道がありました。
この大手道は安土城にもあったとわかっています。
小牧山城と安土城はともに工事責任者が丹羽長秀だったので、共通点も多いのだと考えられますね。
現在では、その城跡には城のように天守を備える歴史資料館が設置されています。
安土城

織田信長の天下統一に向けての拠点として、丹羽長秀が築城したのが安土城です。
琵琶湖の岸にたたずむ安土山の上に築かれた城ですね。
山頂には、日本の歴史上で初となる天守が建てられ、五層七階という高層建築物であったことから、当時の人々を圧倒したと言われていますね。
安土城は「本能寺の変」で織田信長が没した直後、謎の火災により焼失して現存していません。
現在、安土城の城跡には天守跡や本丸跡など、数々の遺構が残されています。
坂本城
丹羽長秀が工事に携わった城のひとつに坂本城もあります。
この城はもともと、「安土城に次ぐ天下で二番目の城」と呼ばれるほどの立派な建造物でしたが、「山崎の戦い」で敗れた明智軍の残党が城内で自害する際に火を放ってしまい、坂本城は焼失してしまいます。
現在、坂本城のあった場所は住宅地や商業地となっています。
そのなかにひっそり「坂本城跡」の碑が立っています。
丹羽長秀のまとめ
如何でしたでしょうか?
以上、「丹羽長秀」についてご紹介してきました。
今回は、「丹羽長秀とはどんな人物だったのか?死因や子孫について紹介!」と題してご紹介致しました。
ぜひチェックしてみて下さい。
それでは、今回はこの辺で。
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